Kozu Art Club 高津高校美術部

先生方を偲ぶ

美術部が芸術家教官室を我が物顔に使用、ストーブで弁当を温め美術書を勝手に読み、 音楽の中村道之助先生と冗談を言っていた。授業の前後や昼休み、部員は必ずここに来た。府の指導主事の富田民治先生、それを断り続け、美術科新設も高津ではなくなると美術教育と、高津の教育を真摯に考えられた佐々木先生。なぜ教育者としての巨人二人も羽生校長は布陣したのか。

お二人は作品に具体的に指示をされない。生徒の個性を尊重し描きたい物を描きたいように描かせこれこそ「自由と創造」の具現化であり画室にこびりついた絵具を削りとったり、制作環境を整えることに専念され教師と生徒の関係より理想的な父親と慕い、先生の美術教育方針は正しいことを私たちは作品で表した。

先輩もこの自由の気の満ちた雰囲気にひたるため、卒後も来て後輩に種々な得難い知識や指針をのこしてくれた伝統はますます強固になる。

村岡三郎(中25)

1947年 旧制・大阪府立高津中学校卒業。1950年 大阪市立美術研究所彫刻部修了。1952年より二科展に出品。1954年に彫刻家として初めて鉄を素材とした作品を発表した。戦争体験の影響もあってか、人間の「生命」や「死」を鉄、硫黄、塩などの自然物質を使って表現する作品が特徴的である。作品は1990年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表など、多くの展覧会に出品され、国内外で高い評価を得ている。母校・高津高校旧校舎の中庭に作った裸婦像は異色の作風である。2013年7月3日肺炎のため滋賀県大津市の病院で逝去された。享年85歳であった。

森村泰昌(高22)

大阪市天王寺区細工谷町生まれ。1970年に大阪府立高津高等学校を卒業。1年間の浪人生活を経て、1971年、京都市立芸術大学美術学部工芸科デザインコースに入学。1975年卒業。その後も京都市立芸術大学で学ぶ傍ら、校や短大の非常勤講師を務めた。

写真家アーネスト・サトウに師事。1983年(昭和58年)に京都市のギャラリー・マロニエにて初個展を開く。当初は静謐で幻想的なオブジェや、身体の手足などのモノクロ写真を撮影し関西周辺で発表していた。1985年(昭和60年) に自らが扮装してフィンセント・ファン・ゴッホの自画像になる写真作品を発表、以後自らがセットや衣装に入って西洋の名画を再現する写真で評価を受けた。

世に良く知られた西洋の名画(エドゥアール・マネ、ルーカス・クラナッハ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、レンブラント・ファン・レイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、フリーダ・カーロなど)になりきるにあたって、絵の構成や背景の物などに至るまで詳細なリサーチを重ね、ライティングやフェイスペインティング、合成やCGなども利用して人物配置、色調、光の位置などまで再現する。代表作『第三のモナ・リザ』(1998年)などが有名である。

水野千依(高38)

1986年高津高校38期卒業。1990年京都大学文学部美学美術史学科卒、イタリア、フィレンツェ大学留学を経て、1997年同大学院文学研究科博士後期課程修了、2010年「ルネサンスの図像における奇跡・分身・予言 イメージ人類学的視座から」で博士(人間・環境学)。1997年学術振興会特別研究員、2000年京都造形芸術大学芸術学部専任講師、助教授、2007年准教授、教授、2015年青山学院大学文学部教授。2012年『イメージの地層』で第34回サントリー学芸賞、2013年第一回フォスコ・マライーニ賞受賞。2015年『キリストの顔』で第20回地中海学会ヘレンド賞受賞。専門はイタリア・ルネサンス美術史・芸術理論。