美術部が芸術家教官室を我が物顔に使用、ストーブで弁当を温め美術書を勝手に読み、 音楽の中村道之助先生と冗談を言っていた。授業の前後や昼休み、部員は必ずここに来た。府の指導主事の富田民治先生、それを断り続け、美術科新設も高津ではなくなると美術教育と、高津の教育を真摯に考えられた佐々木先生。なぜ教育者としての巨人二人も羽生校長は布陣したのか。
お二人は作品に具体的に指示をされない。生徒の個性を尊重し描きたい物を描きたいように描かせこれこそ「自由と創造」の具現化であり画室にこびりついた絵具を削りとったり、制作環境を整えることに専念され教師と生徒の関係より理想的な父親と慕い、先生の美術教育方針は正しいことを私たちは作品で表した。
先輩もこの自由の気の満ちた雰囲気にひたるため、卒後も来て後輩に種々な得難い知識や指針をのこしてくれた伝統はますます強固になる。